2012年11月10日土曜日

保育園でごたごた

園でちょっとごたごたがあった。

できごとはこんな感じ

・お迎えの時に息子が他の子どもに暴力をふるうことが多い(日中はほとんどなくなったとか)
・私があまり強く叱らない。先生に任せて放っておくことが多い。
・Nちゃん(息子より1歳上)のママが耐えかねて「もっと怒ってください!」と私に怒鳴り、文句たらたら。
・次の日外で偶然に会う。「無理矢理にでも謝らせたほうがいい」「叩いてしつけたりしないんですか?」→そのことについて私が反論してしまう。「お迎えの時、もっとしっかり本人に注意します」と言ったけど伝わらず。「常軌を逸しているから、特別学級とか考えた方がいいんじゃないですか」とかも言われた。最後に「言ってくれて良かったです、また言ってください」と言うも、捨て台詞は「言いません。次は法廷で」怖い。明らかに私が言いすぎた。対応間違えた。
・Nちゃんママの要請により、夫と私が先生に呼ばれた。先生はそれほど大きいことと思ってはいないけれど、Nちゃんママは、うちがまったく叱らずに甘やかすばかりだと思っている。→事情を説明したらわかってくれたようす。初日に園で泣いていた私を知っていたのか「保育園ってこんなもんです。いろんな人がいるので。お母さん、気を落とさないでください」と励まされる。


お迎えの時にちゃんと注意しないのは私が悪い。言い訳ばかりになってしまうけれど、強く叱ると興奮してしまってさらに暴力的になることがほとんどで、結局何も伝わらない。私も叱り方は考えあぐねていて、ちょっとずつ言葉で言うしかないかなとか。でもそれにしても少なかったのは確か。また、園で私がヒステリックになったら人間が小さいみたいでみっともないな、と思うのもあった。興奮していない時に「叩かないで」「優しくしてね」みたいなことを言うようにしていたが、それも確かに最近少なかったかも。息子の暴力が徐々に少なくなっていたので、このままで大丈夫かなと思っていた。自分勝手な考え方もあって、強く叱ると本当に消耗してしまう。息子の事はもちろん、自分のこともイヤになるし、しばらくイライラが尾を引く。強く叱らないようにすれば育児が幸せになっていく。・・・が、まあそれを含めても、その場でちゃんと注意しないのは私が悪かった。

家では結構怒っている。叩かれて本当に痛かったら、私が別の部屋に逃げ込んで戸を閉めてしまったり。まあ、怒ってるんじゃないかw 「何が悪かったの」とちゃんと言わせるようにしている。けど、それをNちゃんママに言ってもしかたないのかな、と言わなかった。

無理矢理謝らせることは効果的でないと思う。親が怒って恐怖心から「ごめんなさい」と言わせても何か得るものはあるんだろうか。

叩いてしつけるのも、いろいろ悩んだし考えたし本やネットも読んだけれど、「叩いたらダメでしょ」と言いながら親が叩くことに矛盾があって子供心に納得がいかないだろうし、「悪いことをした人には叩いてもいい」と思ったら、友だちが悪いことをした時に叩いてしまうかもしれないし(その悪いこと、も自分を基準にしたものなので正しい行為ではないかもしれない)、「人は叩けば言うことを聞く」と覚えてしまうかもしれない。そういうことのほうが怖くて、やっぱり叩くのはやめようと思った。よほどのことがない限りこれは曲げられない。もう納得してしまったので。でも、結論が出る前はとてもイライラして叩いたりつねってしまったこともあった。もうしません。

また、世間の「親のしつけでしょう」という目にさらされるのがイヤだから子どもを何とかしようと思うのは、理にかなっていないと思うようになった。もちろん、お行儀が良くてきちんとしている子どもの親御さんは立派だと思うけれど、そう見られたいために、じっとしているのが向いていない子どもに強いるのは何か違う。うちの子は、同世代の子よりもやんちゃみたいだし、大声も出すし、怒りっぽい。子どもたちが一緒に何かしていたら、「この子の親はなにやってんだ」と思われるだろう。もちろんそれはイヤだけれど、それを避けるためにしつけをするのはやめたい。「しつけがなっていない」という言葉に恐怖心を覚えて、やりたくもない暴力をふるっているお母さんは世の中に多いのではないか。

息子はやんちゃな代わりに、お友達が大好きで知らない子にもすぐに話しかけたり一緒に遊んだりするし、嬉しい時は飛び跳ねて、楽しい時は大声で顔を崩して笑う。怖い時もわんわん泣く。厳格にしつけた結果それがなくなってしまったら、個性って何なんだ、と思うよ。

もちろん、子どもにとってよくないことはちゃんと教えていきたい。でも子どもに寄り添って、少しずつ軌道修正していきたいと思う。本当の意味で、無理矢理押さえつけることはできないと思う。それは表面的に押さえたように見えるだけではないだろうか。


まあ、育児の方針はこれくらいに。つい熱くなってしまいましたw

先生と話した帰り際に夫と話すと、夫はNちゃんと息子の両方が悪い時でも、息子を粘り強く諭して謝らせたこともあるという。お迎えの時でNちゃんのママも見ていたらしいのに、おそらく記憶に残っていないんだろう、と。確かに私もお迎えの時に息子を抱き上げて止めたり、それ以上近寄れないようにガードしたり、はしていた。でもそれも覚えていなくて、Nちゃんママには「強く叱らない=傍観している」みたいに捕らえられていたのかも。

怒鳴られた日は、息子がNちゃんを叩いたのだけど、私も他の先生も見ていて、ちょっと触ったくらいだった。Nちゃんが泣き出したのを見て先生が「Nちゃん、今のはそんな泣くことじゃないでしょ」と言ったくらい。でもNちゃんにしてみれば「やられたから謝らせたい」「私が泣くほどなんだから」という気持ちで「謝って! 謝って!」と叫ぶ叫ぶ。私は流れを見ていたから放っておいた・・・ら、「うちの子が謝ってと言っているのに逃げまくる他人の息子」というシチュエーションだけを見たNちゃんママが私宛にキレた・・・といういきさつ(だと私は思っている)。もちろんキレるまでにはこれまでのガマンが溜まっていたと思うけどね。

私は私で傷ついたんだけど、それは置いておいて、Nちゃんママには誠意を持って対応することにした。お迎えで会った時に全力で無視しようとしているNちゃんママに「こんばんは! 先日は言い過ぎてすみませんでした!」と言ったり、次の日も「今日、K先生と話したんで。すみませんでした」と言ったり。媚びるわけではないけれど、いがみ合っても仕方ないし。誤解もあると思うけど、それを解くために今回は言葉じゃないのかな、と思ったりした。人付き合いは得意な方ではないのでわからないけど。

夫に「今回は先生がわかってくれたようだったけど、今後は先生すら敵、みたいなこともあると思う・・・」と言い始めて泣きそうになってしまったのでそれ以上言わなかったけれど、先生すら敵になっても、私は息子の味方をするのだ。

今回のことがあって、息子に「あなたが暴力をふるうから(ママがこんなに傷ついたん)でしょ」と恨みの気持ちが生まれなかったわけではないけれど、そんなときにエジソンの母を想像した。実はあまりよく知らないけど、勉強ができずつまはじきにされた子どもに家でこつこつ教えたエピソードが印象に残っている。先生に否定されても、子どもを信じて個性を伸ばしてあげた母・・・理想です。

今回のことは、やっぱり「良かったな」と思えることがあって、おそらく多くのお母さんは私に直接言うことなく、影で話すんだと思う。「あそこのお母さん何なの、甘やかしすぎ」みたいに。女性ってそういうもんだと思うから。それを私宛に発信してくれて良かった。対応ができるので。陰で言われたらどうにもできない。それは本当に恐怖だわ。もう言われているかもしれないけど・・・。