夫はどうしてそうなんだ、会社はどうしてこうなんだ、夫の会社フザケンナ、社会の風潮ってナンナノ? とかね。
私はそういう記事を読みながら「ああ、わかるなあ」と思うこともある。だけどそんなにエネルギッシュになれないのは、どうしてかなってずっと思ってた。
そういうブログって、結構何かに怒っている。
「怒る」ってことを昔調べたことがあって、あまりちゃんと答えを見つけられなかったんだけど、「何かを期待して、それが叶わないから怒る」っていうのはかなりあるみたい。
第一子が生まれたばかりの時には夫と衝突したこともあるんだけど、今はそんなにない(と思っている)。イライラしてそれを表に出す、ってことはお互いにあるけど「相手が悪い」と糾弾する、ようなことはなくなった。
子育てや家のことでちょっとイライラしても、やっぱりいろんな立場の人の気持ちはわかる。わかるから、あまり怒れないよね、って感じなんだと思う。
キャリアへの諦め
キャリアを諦めることができたら、周りから評価されないことを屁とも思わなくなれば、子育てはぐっと楽になると思う。「実力は変わりないのに、残業できて土日も働ける同僚よりも、私が評価されないなんてひどい」って思ってしまうと辛い。
そう思い始めると、矛先は「評価してくれない上司」や「ちゃんとした制度のない会社」に向かってしまうのではないか。
でも私が雇う側だったら、子どもの熱でいつ休んだり早退するかわからない人に、代わりのいない仕事は任せられない。2人組でできる仕事とか、誰かがサポートできる仕事を頼むしかない。
だから「私はできるヤツなんだけど、時間が短いから仕方ないでしょ」くらいにでーんと、根拠のない自信を持ってもいいんじゃないだろうか。
夫の仕事への怒り
共働きなのに、私だけ早く仕事を切り上げている。どうしても休まなきゃいけないときに、両方とも都合が付かなければ調整するのは私の役目。おばあちゃんに連絡したり、病児保育を検討したり、いざとなったら仕事の方をずらしたり。
だけど、バリバリ働いていたこともある私にはわかる。夫と私、都合を付けやすいのは私なのだ。
そのために仕事をある程度セーブしているのだし、周りも理解がある。
子どものことで仕事に穴を開けるのも、だんだん慣れてくる。でも最初はすごく抵抗があるし、置いて行かれる感じもする。
だけど夫と私、両方の立場もわかっている神様のような存在がいるとするなら、私に対して「君がやったほうがいいよ」って言うと思う。
夫の家事への怒り
家事をあまりしてくれない夫にイライラすることもある。だけど、どれくらいしてくれればイライラしないのか? と考えてみた。
毎日必ず食器を洗いをしてくれればとても助かって大満足になる気もする。
だけど、早く帰ってきた日に食器洗いだけをさっとやって、それ以外何もしなかったらやっぱり「えっ」って思うだろう。
たぶん、私が自分の時間がほとんどなくて家事育児に費やしていることから、夫も暇な時間のすべてを家事育児に費やしてくれれば満足するんだろうな、と思った・・・。
だけど、それでは私も息が詰まってしまう。スマホを見るだけでも罪悪感が生まれてしまうかも。
私は実母と義母に家事育児をやってもらって、自分は自宅で仕事をしていた時期があった(長男が2歳くらいまで)。
そんなとき、今まで食器洗いをしていなかったのに「今日はやろうかな」みたいなのってすっごいハードル高いんだよね。
まず、照れる。照れってバカみたいだけど家族の場合は非常に高いハードルになり得る。
だったら、手伝えないってアピールするために仕事がいそがしい方がいいかな、みたいな気にもなっちゃう。
以前、「俺っていい夫だろ?」なんて言いながら家事をやるダンナにむかついてしょうがない、っていう街頭インタビューがあった。
けど、これは明らかに照れだ。照れ隠しだ。それはわかってあげてもいいんじゃないか。
夫の育児への怒り
育児ってとても不毛な作業だ・・・って思うことは多々ある。片づけても片づけても散らかして、また片づける。その繰り返し。一緒に遊んでるのにキレられて殴られる、みたいなこともある。
おかずを作っても米しか食べず「もっと美味しいの作って」なんて言われる。
だけど、圧倒的な愛情をもらえる。これは本当にすごいことだ。短くても10年くらいは、誰かの唯一無二の存在になれる。
一方で、パパはどうなのだ。育児にいくら協力的でも、お腹が空いたり、眠いときにはいくらあやしても泣かれる。「ママじゃなきゃやだ」とか言われる。
これはねえ、たぶんつらいよね。
だから育児をしなくていいってわけでは決してないけれど、パパの「不毛感」は、ママと別のところであるんじゃないかな。
あとはね、女性はまず妊娠すると「つわり」が来る。
それまでのように働けなくなる。もうマジで無理。無理ムリムリ・・・って感じになる。
そこで「ああ、妊娠ってすごいことなんだな、仕事を減らしていかなくちゃ無理だな」って感じさせられる。無理矢理に。
臨月には、体が思うように動かなくなる。テキパキ動けない。下にあるものを取れない。子ども中心になるという変化を受け入れざるを得ない。
出産で入院しかり、産後の体調しかり。
体の変化によって変化を強いられ、思い知らされて、意識するまもなくママになっている。
「子ども中心に動く」が当たり前になっている。
以前、本で読んだんだけど、女性って変化に強いらしいのだ。
男の子と同じように、木登りしたり鉄棒したりしてやんちゃに遊んでいたのに、突然からだがふっくらとしてきて重くなり、ぴょんぴょん身軽に遊べなくなる。そこで突然の変化を受け入れざるを得ない。
10代という若さで劇的な変化を強いられるため、変化するのに慣れるしかないんだと。
一方で、男性はやっぱり自分ごとではない。
女性を思いやる努力は必要だけど、ぼーっとしている男性なら、変化に付いていけないだろう。
パパとしての自覚がゆっくりと芽生えていくのは致し方ないのかもしれない。
のんびりタイプの男性には、ママの辛さややって欲しいことなどをちゃんと冷静に伝えるべきなんだろうと思う。
夫の会社や世間への怒り
夫を朝から晩まで働かせる会社ナンナノ? って思う、人もいる。海外事情がよくわからないのだけど、ドイツなんかは残業禁止で、本当に会社が閉まってしまうみたいね。
だけど、私も朝から晩まで働いていたクチ。残業代さえ出ていれば、「フザケンナ」とは思わなかった。
遅くまで働く気持ちはわかる。とてもよくわかる。たまに18時に客先帰りとかで電車に乗ると、混んでいることが信じられなかった。18時に終わる仕事って、どういう種類の仕事か想像が付かなかった。
1人暮らしだと18時に帰っても暇で暇でしょうがないとも思う。
会社の都合で朝から晩まで働かされていた、とも思わない(時間が長すぎると精神に異常を来すけど)。責任を持たされるのは、悪い気分じゃない。
また、高度成長期にみんながたくさん働いたのは、会社の都合でイヤイヤ働かされたというより、景気が良くて夢があって、働くことが充実そのものだったんだと思う。
男性が産休を取れない文化は、ちょっとどうにかしたほうがいいと思う。ただ、最初の1人になる勇気はなかなか持てないと思うので、どこかの会社さんのように、社長が率先して取るようなことがあるとどんどん良くなるよね。
仕事でどうしても予定を開けられないことはあるけど、出産というのはおおよそ10ヵ月も前からわかっているわけで、その前後数週間くらい休む調整ができなくてどうすんだ、とは思う。
本気になればできるんだけど、本気になれないうちに産まれちゃった、といったところ。その気持ちもまあ、わかる。
女性は本気になるしかない。自分が生むんだから。本気で仕事を減らして誰かに委譲していくしかない。
だから、事情が違うよね、って思う。
それほど本気にならなくても、「まあみんなが取るから、俺も取ろうかな」くらい、あたりまえになるといいなと思う。最初はもちろん、本気でやる人が必要なのだろうけど。
自分の会社への怒り
ママ自身が務めている雇用主、会社などに理解がないと、辛いと思う。これはまあ、怒るのもわかるかな。
だけど、それぞれ勤めている会社の事情は異なり、一般化しづらいので、こういう不満が爆発している記事はほとんど目にしない。
どういう時に怒るか
子育てすると思い知らされるけど、イライラって自分都合なんだよね。
子どもができるまでは、子どもの行為が何かのボーダーを超えると親が怒るんだって思っていた。
だって、ドラマとかではそうだから。
熱血先生なんかは、生徒があまりにもひどいことをしたときだけ、間髪入れず殴っていた。そこには迷いがなかった。
だけど、日々の子育ての中で、私が怒るシーンに一貫性があるとすれば、私の状態であって、子どもの行為ではない。
子どもの行為の「悪い度」が5段階あるとして、私のイライラがひどければ1でも怒鳴るし、余裕があれば5でも優しく諭すことができる。
夫や社会に対しても似たようなもんだと思う。
答えが見つからない
今の私は、答えが見つからない。「何かがこうなればもっといいのに!」って外側に対して思うことはあまりない。考えれば出てくるんだろうけど、考えるとどこかの無限ループにはまっていく。
仕事はもっとしたいけど、子どもとの時間は増やしたい。
子どもに早く育ってもらって自分の時間ができて欲しいけど、小さい頃だけのかわいらしさを存分に味わっておきたい。
矛盾だらけの欲望を持ちつつなので、誰かに期待することが少ないのかしら。