2015年10月4日日曜日

幼稚園最後の運動会

長男、幼稚園最後の運動会でした。

年少、年中の頃から、かけっこで1位になりたいという人で、でも練習でも1位を取れるのはときどきだから、あまり期待しないようにしていて。
「転ばないで一生懸命走ればいいのよ」なんて言う人もいたけど、それ、転んだ時にかける言葉ないよね、って思ってた。
おゆうぎ会などでも失敗して泣いちゃうことがあったけど、失敗しないことが大事なんじゃなくて、失敗してもめげずにやることが大事なんだろうって思っていた。
将来のことを考えても、幼稚園の行事で失敗しなかったっていう経験が何かに生きるとは思えなくて、失敗してもやり抜くってことこそいい経験になるんだと思う。

運動会の日。
「失敗しても、すぐに気持ちを切り替えて最後まで頑張ることが大事だよ。失敗したってそんなのは全然大したことじゃなくて、それでも全力でできる人がすごいんだよ」みたいなことを言った。
これは私の価値観というよりは、失敗を気にしすぎる息子のために用意した言葉って感じだ。

最初は組体操。
三重塔で一番上に乗る時に何度か失敗してすぐに乗り直してようやく成功。
和太鼓では、よくわからなかったけど「ちょっと間違えたからその後にしっかり腕を伸ばした」みたいなことを言ってた。
最後はクラス対抗リレー。なんとバトンを受け取ってから転んだ。接戦だったので2人に抜かれた。でもすぐに起き上がって、最後まで走ってバトンを渡した。

その日の夜にどんな気持ちだったか聞いてみた。
「何もないところで転んだ」
「ママの言ったこと思い出した?」
「うん。あと、『はじめのことば』(開会式で代表の子たちが言う)で『転んでも泣きません』って言ってたでしょ。だから『泣いちゃだめだ。泣いちゃだめだ』って思って、ちょっと泣いちゃったけど、頑張って走ったの」
そこまで話すと目をシパシパさせて涙を目に浮かべる。
「話すとまた泣けてくる」
私もホロリ。
「走り終わってどんな気持ちだった?」
「かなり、いい気持ち」

それはよかった。
転んだときにいったん4位になったけど、その後みんなが頑張って2位でゴール。

いろんな角度で見ていたお母さんたちが「涙をこらえてバトンを渡してた」「終わった後に足を引きずってた」「起き上がりの早さに感動」など教えてくれて、3年間同じクラスでみんなが成長を見ててくれてるんだなって嬉しくなった。

何より、転んだけど最後まで走り抜いて、すがすがしい気持ちになったっていうのは、とっても自信になると思うし、親としてもことあるごとに言っていこうと思う。



2015年10月1日木曜日

子どもの意見を尊重する

努力目標というのがありまして。

「許容できるときはやらせる」
「怒るべきとき以外は怒らない」

というようなもの(雰囲気)。
実はこのルール、言葉にするのは初めてで、私の身体の中で概念だけがぽっかり浮かんでいるわけです。
だからまだルール(言葉)として洗練されていないけどご容赦を。

文字を読んでしまうと当たり前なんだけど、
例えば、子育てをしていると「これを許してしまうとスゲー面倒くさいことになる!!!」っていうことが多々あるわけです。
↑こういうやつ・・・。
このあとビショビショになって車に乗りました・・・。

急いでいるときは止めますが、時間があるときなら放っとくか~楽しそうだし、という。
何よりたぶん彼らのためになるし(「水ってどう動くの? 水があると足が重い! 濡れたらキモチワルイ。バシャバシャってこんな音なんだ!」がわかる)。

先日渋谷のワークショップコレクションに行きまして。
着いてすぐ、お友達の会社さんがブースを出しているところへ行ったのだけど、けっこう並んでいる。
他の予定の後に行ったため、もう終わり間際で、これ並んだら他のできないよ?
でも長男は「これやりたい!」と言う。
「他に行けば、並ばなくてもっと楽しいのがあるかも知れないよ? 何個もできるよ?」
「でもこれがやりたいの!」
そう言うので、並んだ。1時間くらいだったかな。壊す予定のビルだったので、壁に落書きしていいよと言われ、いろいろ描いていた。思ったよりは待っているのが大変じゃなかったみたい。

あとでそのブースのSさんとお話ししたときに、
「あれはなかなかできないんじゃないか」
と(私が)褒められた。
そもそもワークショップに連れてくるくらいだから子どもにいろいろと体験させたいというお母さんなわけだし、
終わり間際に来てひとつしかできないとわかっているのに子どもの意見を尊重するっていうのはなかなかできないっていうことらしい。
「いやーでもうちの子は強情っぱりなんで、従うしかないんですよ」
と言ったけど
「泣き叫ぶ子を無理矢理連れて行っているお母さんもたくさん見ましたよ」
そうなのか。そうなのか! ホクホク。

でも最初に書いたとおり、あくまでこれは「努力目標」であって、私の気分で理不尽なことを子どもに強いることもある。
だけど、努力はしています、一応ね。

2015年9月3日木曜日

「悔しい」は「苦しい」

子どもは勝負ごとが大好き。
何も賭けてないただのじゃんけんだって、悔しくて泣いちゃうこともある。
特に長男はけっこうな負けず嫌い。
金魚すくいを何回もトライして思った通りにできなくて泣いてわめいて親に当たる。(通りすがりの人が「金魚飼えないからどうぞ」とくれようとするも、「欲しいんじゃなくてすくいたいんです・・・」と丁重にお断り)
幼稚園の帰りに遊びで走ったかけっこですら負けると泣いたり、相手に手を出したり。
習っているサッカーでは、ドリブルがうまくできない、と泣いてしまう。

負けず嫌いは、私の遺伝です、辛い思いをさせてごめん。

親から見ると、悔しがるのはいいことだ、頼もしい、その気持ちを大事にして頑張れ、って単純に思っちゃう。
でも、悔しいってすごく辛いことなんだよね。
子どもの頃の私は多分、悔しい気持ちなんていらないって思ってたんじゃないか。まあ、あってもたまにでいい。

息子は数日前から、習っているサッカーを辞めると言い出した。
怒られるのかいやなんだって。
我慢してたけど、苦しかったんだろうなって。

勝ち負けとか、できるできないとか気にせずに、やりたいことだけずっとできれば幸せなのになあって思う。
他に習ってる美術はそんな感じ。
全員上手で、全員正しい。

とりあえず、「悔しい」は「苦しい」って、忘れないようにしよう。

2015年9月1日火曜日

キングコング西野さんと絵本

キングコング西野亮廣さんの創作活動が大好きで、Twitterも、Facebookもフォローしている。
3冊目の絵本「オルゴールワールド」が発売された時に、初めて絵本を書いていることを知って、買ってみた。
さーっと読んで、実はそんなに響かなくて、しばらく仕事部屋の本棚に置いてあった。
最近子ども達(5歳♂、1歳♂)が長めの絵本を読みたがり、時々買ってはいるが追いつかず、図書館で借りるのも億劫で本棚の「オルゴールワールド」を出してきた。
長男は、見たこともない繊細な線画と、わかりやすくない構図と、難解な言葉が使われた絵本が気に入ったみたい。
次男は、いつも物語の途中で寝てしまう。
でも、毎日のように読んでいた。

西野さんの個展が、つい先日まで青山で開催されていた。「おとぎ町ビエンナーレ」という。
長男と二人で出かけられる日があり、「絵本の原画(原画の意味を説明しつつ)見に行きたい?」と言うと「え!ホンモノ?見たい!」と言うので行ってみた。

その日はあいにく、西野さんには会えなかったけど、原画をじっと見て、これ知ってる、これあれだよね、といろいろ言ってた。

別の日に「今日最終日で、行けば描いた人に会えるよ」というと「行きたい!絶対行きたい!」と。
パラパラと雨が降るなか、行ってきた。

たくさんの人と話している西野さん。せっかく話せる機会なので、絵本「Zip&Candy」と、独演会のチケットを買って(息子に聞いたら「行きたい」と言うので2枚買った)、列に並ぶ。
西野さんが順にサインをして、お話もしてくれるのだ。
あれも聞こうよ、これも、と息子と話していたけれど「恥ずかしいからママ話して〜」と言う。

いざ、私たちの順番に。
サインしてもらいながら、絵本を毎日読み聞かせてるとか、絵本に出てくることばを「犠牲って何?」って聞かれる、とか伝えて。
「ちょうど君くらいの時に、親から与えられた本がクマさんとかそんなのばっかりでつまんなくてね」って、絵本を作った経緯を教えてくれた。
「次描いてるの、見る?」と、スマホの画面で絵を見せてくれた。
すごく恥ずかしそうに、嬉しそうに見ていた息子。

西野さんのスマホで独演会のチケットと一緒に撮影して、私のスマホでも撮ってもらった。
私はまあ、好きな有名人に会えてミーハー気分なわけだけど、息子にとっては、毎日毎日読んでいる絵本の作家さんに会って話せた!ってことになる。
私が子供のころ、好きな本の作家さんに会えたらどんな気持ちになっただろうなあーと考えると、すごいことなんじゃない? って。
すごくいい経験、すごくいい思い出になったなあって思う。

購入したZip&Candyは、当然その日の夜寝る前に読み聞かせたわけだけど、なんと、私が読みながらポロポロと涙を流してしまった。
昨日も、今日も、展開がわかっているのに泣いてしまうのはどうしてなのか。
オルゴールワールドでは途中で寝てしまう次男も、Zip&Candyは最後までしっかり聞いてた。

で、今日。
次の絵本の制作費をクラウドファンディングで募ってて、その最終日だった。
サイン入り絵本をリターンに選んで、息子宛に届くように宛名を記入して支援しました、とさ。

もともとは、お笑い芸人としての西野さんのファンだったわけじゃないけど、創作活動なんかが素敵だなーと思ってフォローして、いろいろと追いかけちゃう構図っていうのは、今とかこれからの時代にすごく合ってるなって思う。

お笑い芸人としての西野さんは、M-1の決勝戦でウケがよくなかったときに、半泣きになってたのをよく覚えてる。それほど本気でやってるんだなって思ったんだよね。


2015年8月20日木曜日

気持ちを客観的に捉える

長男が群馬のばぁばの家に5泊したと思ったら、自宅に一泊だけして翌日から都内のおばあちゃん家へ2泊。今日帰ってきた。

帰ってくるなりテンション高く、大声を出しながら風船で遊んでいる。
おばあちゃんが帰って少し落ち着いて、ご飯にしようと言ったら「ぼく、食べたくない!」という。
どうして? お腹空いているでしょ? と言っても
「だって、おいしくないから。もっとおいしいもの作ってよ!」と言う。
おかずを見てもいないのに。

怒るか、諭すか、迷いつつも、まあ怒らない程度にいろいろ言ったけれど、だめ。
「もっとおいしいもの食べたいの」と言って手に負えない。
ごはんをひとくちだけ食べて「ごちそうさま」と言う。いつもご飯は食べるのに。
作ったご飯を「おいしくない」という理由でまるっと残されて泣きたくなったけれど、もう慣れたっていうか。

夏休みになってから毎日やっているお風呂掃除も「やらない」という。
たまりかねてママがやっちゃうね、と言うと「やっぱりやる」と渋々やりはじめた。

お風呂掃除をしてお湯張りのスイッチを押してリビングに戻ってくると
「たぶん僕、怒ってるんだと思う」
という。
その大人びた言葉にびっくりしながらもどうしたの? と聞くと
「電車でね、眠かったんだけど、寝ようかなーと思ったら『次は、○○駅~』って、着いちゃったの」と。何か恥ずかしそうに、時折ニヤニヤしながら話す。
眠いときに起こされると頭に来るよね。何回も経験ある。

その時に頭に来たんだけど、帰ってきて遊んでいるうちに気が紛れて、でもふと落ち着いたら沈んだ気持ちが戻ってきた、ってことみたいだ。
私にもそういう経験あるから、わかる。

それにしても、自分の怒りを客観的に捉えられるんだね。
前にもそういうことあった。




私は思春期にそういうもやもや(気分の変動)に苦しんで、ああそういうことか、って大人になってからようやくわかったような覚えがある。
わかっていない大人も、いくらでもいる。

自分の気持ちも含め、いろんなことをよくよく考えながら育ってほしいものです。

2015年7月26日日曜日

次男さんの絵本中毒っぷり

次男さんが絵本好きでたいそう嬉しい。本当に。
例えば長男が喜ぶかな、と思って買ったこれ。



次男さんには早いだろうと思いつつも寝る前に読んでみた。
初めて読んだときは難しかったのか途中で寝ちゃったけど、今は「じゅげむ読む?」「うん」と。
何度も聞くうち、よく出てくるフレーズ「かぎりない」を言えるようになった。

朝起きてリビングに行くとまず絵本を持ってきて「ぷ」「ぷ」という。(なんか要求するときはまるっと「ぷ」か「ぐ」と言うのかも・・・?)
こちらが終わりと言うまで何度でも読み続ける。
同じ本を何度も読む場合もあるし、次々と本を持ってくることもある。
長男が幼稚園でもらってきた(お金払ってるけど)絵本も好き。

ちょっと前は、あまりに何度も読ませるし大変なのでiPhoneに録音してた。
2回目からは読まなくてよくなる。でも、私も読むのが楽しくなってきて最近は毎回読んでいる。

すごく食いしん坊なんだけど、食べ物よりも絵本! て感じだ。
お兄ちゃんがおもちゃを貸してくれないからとわんわん泣いていても、「絵本読む?」と言うと「うん」と言って私の膝に座り、1~2冊読めばもう機嫌が直っている。

最近は、ひとりでページをめくってフムフムと楽しんでいることも多い。
長男さんが、文字の少ない絵本を読んであげることもある。
休みの日に彼の要求どおりに読んでいると、のべ30冊くらいにはなるよ。余裕で。

本好きのまま大きくなってね。ママと読書旅行(読書ばっかりする旅行)しよう。

2015年6月28日日曜日

ニッポンのジレンマ『男女共同参画社会のジレンマ大研究』を観たよ

昨日の「ニッポンのジレンマ」を観た。
『男女共同参画社会のジレンマ大研究』というテーマ(カタイ・・・)

出演は、
MC:古市憲寿、青井実
ゲスト:中野円佳、はあちゅう、堀口美奈、三浦瑠麗
青学の女子大生とOGを集めて、女性の文化人が語るという感じのテーマ。
みんなそれぞれ個性があって、いろんな立場で考えて語っているのでなかなかよかった。
せっかく観客がいるのだから、もっと意見を聞けばいいのに、とは思った。

いろいろ突っ込みたいところもあった。
私なりに仕事と家庭を両脇に抱えてなりふり構わず突っ走っているので、そこそこ考えがある。

以下気になったこと。聞きながら書いたわけではないので言い回しなどは違っているし、私の解釈も入っているかも。

■三浦さん「みんなが早く帰れるように。育児に参加できるように。残業禁止とか、そうなればいい」

自分が早く帰るからって、他の人まで「そうしてよね!」って何かおかしい、ような。
「私は育児があって早く帰らなくてはいけないのに、他の人が長時間仕事しているなんてずるいです」が通ったら、「私は体が弱くて3時間しか働けないのに、他の人が8時間仕事しているなんてずるいです」が通ってしまう。
人それぞれ事情は違うのに、何かおかしくないか。

例えば、他の人の1.5倍働いて、2倍のパフォーマンスを上げられる人がいる。そういう人が好きで長く働く分にはいいんじゃないかな?
もちろん、できない人が長く働いて残業代をもらうのはちょっとやめてほしいけど。

この方は社会学者なので、頭の固いおじさん連中に手を焼いているんだと思う。
お金をいっぱいもらっているおじさんに対する意見が多い。ムダに働くなら早く帰って、という感じかな。
だけど世の中にはベンチャーとかで自分しかできない仕事を昼夜問わずやっている人はたくさんいる。

ただまあ、ドイツではうまくいっているというのを聞いたことがあるので、やってみたら思わぬメリットがあったりするのかな?


■中野さん「生産性で評価されるようになるべき」

生産性で評価されて、何を求めているのか。給料? 昇格? 満足感?
生産性で評価されたとしても、毎日10時間働いている人、5時間の時短の人では、前者の方が断然「成長」する。
それだと、給料も昇格も満足度も結局得られないよね? 違うのか?
評価されないことで、人に嫉妬したり、置いて行かれる不安を感じたり、そういうのをどうにかしたいのかな? と感じてしまった。

私は、女性が働きながら育児をするにあたって、そういうもの(人との比較?)からまずは自由になる必要があると思っている。(考えてみたら男性の育児参加も同じかな)
独身の部下に抜かされたって、やりたい仕事を取られたって、同僚に置いて行かれたって、まあ、悪い言葉で言えば「あきらめる」。
何とも思わないと言ったらウソだと思うけど、どうにかしなくても別にいいか、という感じかな。
「時間がありさえすれば私の方ができるのに」って思うと辛い(前にも書いたような気がする)。
そうじゃなくて、そもそも人と比べなければいい。難しいけどね。

仕事ができる人がどんどん辞めてしまうと三浦さんは言っていた。
その人達は、本当はやれるのに評価されないような状況に我慢ができないとか? なのかなあ。

そもそも、我が社には評価制度なんてないので、違和感を感じるんだろうか。
オファーがあるかないか。ただそれだけ。
それだって、人と比較しようとすればいくらでもできる。でもしないだけだ。

このあたりがけっこう大事な気がしてきた。「人との比較」ね。


■堀口さん「スキル不足でできなくても、女性だから評価されない? と思っちゃうことがあった」

この方は商社で働いているらしい。
前に同番組で観たときにはあまりいい印象はなかったけど、好印象に変わった。すごく現実的で、会社のどうにもならない状況も腹に落ちていて、リアリティがある。


■はあちゅうさん「大企業の人って、すぐに『ご挨拶』とかしたがるんですよ。フリーランスにとってはそれもコスト」

それは、あるよね。企業とフリーではコスト意識が全然違う。
私はそういう意味ではフリーに近い金銭感覚。

我が社では、前々から打ち合わせもコストとして考えている。
でも、それによる弊害もあって、私は最近ではできるだけ顔を合わせるようにしている。
必要以上に多いとやっかいだけど、いいことはたくさんある。

私にとって、顔合わせは投資かな。時間の投資。営業みたいなもの。
それによって大きな仕事に繋がるかもしれないし、新しいチャンスが生まれるかもしれない。
たくさん撒いて、少し芽が出ればいいかな、という賭けですかね。
時間や成果でギャラがもらえる「作業」とはまったくの別モノ。
顔を合わせることによっていいモノができると思うし。

バランスが難しい、とは思う。
打ち合わせをやり過ぎるとそれこそ生産性が上がらないし、
でも1回の打ち合わせを渋ったばっかりにトラブったり、いいモノにならないなんてこともある。

私なんてアレですよ。
ちょっと郊外に住んでいるし、30分前行動がキホンなので、1回1時間の打ち合わせで4-5時間は取られる。打ち合わせの2時間前に家を出て、30分~1時間前についてカフェで仕事して・・・という感じ。
つまりは1時間程度は外出中に仕事できるけど、限られる。
それでもまあ、出ないとダメだなと思っている。


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その他、日々思っていること。

いろんな人のニーズに応えられるように、保育園制度ができて、子どもを夜まで預けることができて、ベビーシッターも充実して、病児保育もバッチリで、学童も自由に時間を決められて、しかもどれもこれも安い!
ってなったら、幸せでしょうか?

一見良さそうに見えるけど、選択肢が増えすぎると、世の中的には不幸な人(自分を不幸だと思う人)が増えるんじゃないかな、というのを少し感じている。
私は、「仕事を夜までしたい」っていうときにも強制的にお迎えに行って子どもと一緒の時間を過ごすことで、むしろ幸せな時間をもらえている。
(その分夜中にやったりして、仕事を減らさなきゃな・・・って反省したり)

でも、だからといって何も変えないわけにはいかないので、
今ベストだと思うことをやってみて、その時に生じた問題にまた立ち向かう、っていう方法しかないんだろうな。

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何にせよ、とにかく子どもはかわいいよ。
もっと子どもと遊びたい!!

2015年4月26日日曜日

ボーイスカウト体験へ

自転車で15分くらいの大きめな公園でボーイスカウト体験。

体験の子ども以外は、こどもも大人もベレー帽をかぶってバンダナをネクタイのように巻いている。

体験の始めは、ネイチャービンゴ。
四角いマス目に草花のシールを貼る。たんぽぽとか、あじさいとか。
決められたエリアでその草花を見つけたら丸がつくので、縦か横が揃えばビンゴ! っていうゲーム。
私たち素人が見ても、ほんとにたんぽぽとあじさいくらいしかわからない。
長男は走ったり、質問したりして楽しそうにしてた。
「ヒメツバキのヒントください」とか質問もしてた。

それが終わると、つぎは暗夜行路。
目隠しをして、紐の付いたルートを歩く。お姉さんやお兄さんのガイド付きだけど、これって以前私が仕事で体験したダイアログ・イン・ザ・ダークみたい。
木の根っこで転びそうになってた。

つぎは、記憶力のゲーム? レジャーシートの下に身近なものがいくつか並べられていて、決まった時間で覚えて、レジャーシートで覆い隠してしまう。その後にみんなで何があったか思い出していくっていう。
これはなんだか、テストみたいだったからか「自信がない」って嫌な顔してた。

最後はパン(じゃなくてお菓子だけど)食い競争だった。

こういう体験をたくさんさせたくて、練馬のイベント情報とかチェックして参加したり、
大きな公園へ遊びに行くようにしているのだけど、
もしかしてボーイスカウトに入っちゃえばこと足りるんでは? って気持ちになり。

次はもっと近くでイベントがあるというので、アンケートを書いているときにいろいろ聞いていたら
「あ、でもご興味なければ無理に来なくても」みたいなことを言われた。
は? 興味があって来てるんですけど? って思ったけど私がなんだか無愛想にしてるのかもと思い「なんで? そんな風に見えますか?」って(なるべく笑顔で)聞いてみた。
「いや、ここに興味ないって・・・」
と言われ見てみるとアンケートの「ボーイスカウトの活動に興味がありますか?」という質問で「ない」にしっかりと◯してた・・・。
経験ありますか? みたいな質問に読み違えてたみたい。誤解が解けてよかったす。

キャンプとかもあるみたいで、私が子どもに戻れるなら入りたいよ! って何回も思った。
長男さんは、今はさほどノリノリではないけど、少しずつイベントに顔出して顔見知りになったりして好きになってもらいたいなーって思ってる!

2015年4月25日土曜日

ゲームのメリットってある?

ほとんどの趣味に「楽しい」以外のメリットがあると思う。
でも、ゲームのメリットっていくら考えても見つからなくて、子どもに与えることにすごく抵抗がある。

で、ゲームの人に聞いてみた。
その方は、もともとインターネット業界にいて、ゲーム業界に移って、昔からゲームが好き、というYさん。 
ちなみに、人として大変に素敵な方。

「ゲームから得たものはたくさんある。僕にとっては小説や映画と同じで、世界観やストーリーに感動したり、涙したりするもの。小説や映画は完全に受身だから主人公の行動が気に食わなくても何もできないけど、ゲームならシナリオがあるとはいえ自分で行動するから納得感があり、没入感がすごい。あとは友だちと一緒に楽しんだことがとてもいい思い出になっている」

だけどもちろん他の遊びもする。

私は子どもにゲームを与えた途端、ゲームしかしなくなるんじゃないかという不安にかられてしまうんだけど、
ゲームはゲームであり、一つの遊びに過ぎないんだということなのかな。

でも制限はやはり必要だと言っていた。
それはゲームに限らず、自分の子どもには、あらゆるメディアっぽいもの(テレビや漫画やYouTubeなどなど)は等しく制限するつもりだと。
私はどうだろう。何時間も小説を読んでいても止めないんじゃないかと思うけど。

話を聞いてもやっぱりゲームを与えたくないって依然として思うのは、
子どもって意外と時間がないから。
保育園や学童から帰ってきたら、19時ごろ。ご飯とお風呂と寝る準備を2-3時間で済ませなくてはならず、フリータイムは30分から1時間くらいしかない。
その間に「30分までね」と決めたテレビとゲームが入ってしまったら、もう他に何もできない。
ゲームやテレビがなかったら、自分で工夫してブロックやカードゲームやお絵描きで遊ぶかもしれないのに。

毎日何も考えずゲームとテレビの子と、
毎日「今日は何しよう」と考えて(たぶんつまらない日もあるけど)いろいろやってる子だったら、
やっぱり後者になってほしい。
「今日は何しよう」の中に、たまにゲームが入ってくるくらいならいいのにね。でも楽しすぎてそうはいかないんじゃないかな。

まあでも、こういうことも子どもとしっかり話しながら決めていければいいのかもね。

2015年2月11日水曜日

ゲームにハマる子、ハマらない子

できれば、ゲームにあまりハマらない子どもになってほしい。
だけど、実際子どもがどんな風になるのか、不安は付きまとう。
周りの子どもが買っていたら合わせて買わなくてはかわいそうなのか、1日30分など、決まりを作れば大丈夫なのか。

子育てに関する本を読んでいたら(最近は先を見て小学生や中学生向けも読んでいる)、ゲームにハマっている子は、親が子どもにかまっていないという現実がある、と書かれていた。
親が子どもに遊びを提案しないとか、楽しませてあげないとかそんな理由で、子どもはひとりでいても楽しませてくれるゲームばかりやるようになるのだとか。
なんか、これまでいろいろ考えていたことがまるっとその理論に収まったようで、すごく納得した。

積み木は積み木の楽しさがあって、ときにはゲームに負けないくらい面白い。でもたいていは刺激が足りないし、何回やっても面白いというシロモノではない。
毎日積み木と、毎日ゲームだったら、そりゃあゲームが勝つだろう。
だけど、今日は積み木、明日はあやとり、明後日はプラ版と、毎日違う楽しみがあって、さらにそれが子どもの成長にぴったりと合っていて、簡単すぎず難しすぎないものだったら、毎日ゲームするよりもよほど楽しめるに違いない。
ただそれを、子どもが自分で見つけ出すのは至難の技だ。というより無理だと思う。
大人が提案するのだって、相当大変だ。ていうかムリ。

私は2回目の産休中、長男と2人で過ごすときに何をしていいかわからず、遊びの本を何冊か買った。
(私はほぼテレビを見ないから)
図書館で借りてから、保存版だと判断したわけ。

それこそ昔は、近所のお兄ちゃんやお姉ちゃたちに遊びを教わっていたんだろうけど、今はそういう時代ではないということで、大人が遊びを教えてあげなくてはいけない。
それは先生なのかもしれないけど、幼稚園など何十人も見ていたら、ひとりひとりに合った遊びを提案するのは難しい。やはり、親がやるしかないんだろう。

遊びの本は保育者向けにはたくさんあるんだけど、家庭向けの本は少ない。
だけどなんとな見つけて手に入れて、暇だなあってときにパラパラとめくるとたくさんのヒントがあって、道具がなくてもしばらく遊べるものがたくさん載っている。
例えば、背中に文字を書いて当てるゲーム。すごく楽しいし、出かけ先で何かの待ち時間にもすぐできる。

待ち時間にゲームをしている子どもはたくさんいるけど、そんなとにに大人が遊び(というか楽しみ)を提案してあげられたらいいのかなと思う。
親もなかなか時間がないのだけど、何もつきっきりでいる必要はない。たとえば先日、的あてでもすれば? と的作りを一緒にしたけど、的あてゲームはひとりで勝手にやっていた。

子どもができる前は、「親はなくとも・・・」じゃないけど、子どもって勝手にたくましく育っていくんだと思っていた。勝手に遊びを見つけていけるんだと思っていた。
だけどそうではなくて、親の、特にいつも一緒にいる母親の影響って恐ろしいくらいに強いんだなあと思う。

で、親の遊び提案力っていう感じのテーマで記事や書籍が出せないかなあって思っていたりするこの頃です。

2015年2月7日土曜日

こんな感じの1歳2カ月

大人の言葉はまあまあわかるのに、自分は言葉を発せない。そんな時期はとっっっても短いもの。

おっぱい

ベビーサインで最初に覚えたのがこれかな。両手でグーパーグーパーを繰り返す。
「っぱぁっ! っぱぁっ!」と言いながら。

もっと

両手を軽く握って先をトントンと合わせる。
ご飯がもっと食べたい、絵本をもっと読んで、もっとこれで遊びたい、なんてときに。
「ご飯食べたい」ってときにもこれをします。

たべたい

手を口にあむって持っていく。むしろ口の中に入れちゃう。

おいしい

何か食べたときに「おいしい」と思うと、右のほっぺをぽんぽん、とします。
「おいしい?」と聞いたときにも、やるね。

チーズ

両手の人差し指をほっぺにあててにんまり。
チーズをよく食べるので、チーズが食べたいときにやってもらおうと思って教えたんだけど、何か食べたいときとかにやるみたい。
あと、これやると大人が大喜びするので「チーズ」と言うとすぐやる。

食べさせろ

「あっ! あっ!」と言いながら、自分のイスをバンバン叩く。
そこに座るとご飯、とわかっているみたい。

お外に行きたい

2週間前に突発性発疹をやって、連日の高熱。でもまあまあ元気だったりするので、お外に行きたい。
まずは掛けてある上着を引っ張ってこっちを見つめる「あっ! あっ!」
ダメだというと、もう一枚の上着を引っ張って同じことをする。
それでもダメだというと、くつ下を持ってきて差し出す。靴下をはくとお外に行くと知っているのだ。
それでもダメだというと、抱っこをせがみ、抱っこしてあげると「バイバイ」をする。バイバイをするとその場から立ち去る(=お外に行く)のだと思っている。
それでもダメだというと、階段の上にあるゲート(うちはリビングが2階なので)をガンガン揺らし、足で上ろうとする。
このときにね、私は根負けしました。ぐるぐる巻きに暖かくしてベビーカーに乗せてお外に行きましたよ。

お風呂に入る

体の前でゴシゴシするのがお風呂のサイン。
次男は首のあたりをぐにゃぐにゃする。お風呂大好き。

ねんね

「ねんねする?」と聞くと、眠いときには手のひらをほっぺに当ててむぎゅーっとする。
その後おっぱいのサインする。

アンパンマン

「んっぱっ!」といってアンパンマンを指差す。大好きみたい。

ジバニャン

「んっばっ!」といってジバニャンを指差す。ジバニャンも大好き。時代だねえ。

歯みがき好き

歯みがきは、自分で持ってもらっているので大好き。
「歯みがきする?」というと人差し指を口の中に入れてにんまりする。
仕上げのゴロンも抵抗せず。それなりに、さらっと。

パパにどうぞ

「これ、パパに『どうぞ』してきて」と言って何かを渡すと、ロボットのように慎重に歩いてパパのところへ行き、渡す。
ママが手が離せないときに使います。

ゴミを捨てる

「これ、ごみ箱に捨ててくれる?」というと、これまたロボットのようにぎこちない動きでごみ箱に捨てる。
はじめてやったときに「ありがとう」とお礼をしたので、ゴミを捨てた後はコクンコクンとやたらお辞儀をする。

音楽大好き

なんだか機嫌が悪いときに、童謡のアルバムをかけると静かにひとり遊びができるようになる。
長男が踊ってるのを見てゲラゲラ笑って自分も踊る。

投げるブーム

ただいま投げるブームの真っ最中。
前にちゃんと投げる。斜め下45度くらい。

チ○チ○を触る

お風呂で自分のを見つけた時から、さわってエヘヘと笑う。
オムツ替えのときにも良く触ってる。保育園の先生曰く、男の子はみんなそうなんだとか。


まだまだあるんだろうけど。

とにかく、頑張れば自分の意志が伝わるとわかっているので、やたらにアピールする。
指差したり、持ってきたり、知らせようとしてくれるからありがたい。
人見知りはけっこうしていたけれど、ずいぶん減ってきたかな?
お腹かが空いているときや眠いときはパパでもダメだったりするけどね。

2015年1月14日水曜日

働くママの怒り?

働くママが怒っている記事(ブログ?)を良く目にする。
夫はどうしてそうなんだ、会社はどうしてこうなんだ、夫の会社フザケンナ、社会の風潮ってナンナノ? とかね。

私はそういう記事を読みながら「ああ、わかるなあ」と思うこともある。だけどそんなにエネルギッシュになれないのは、どうしてかなってずっと思ってた。
そういうブログって、結構何かに怒っている。

「怒る」ってことを昔調べたことがあって、あまりちゃんと答えを見つけられなかったんだけど、「何かを期待して、それが叶わないから怒る」っていうのはかなりあるみたい。

第一子が生まれたばかりの時には夫と衝突したこともあるんだけど、今はそんなにない(と思っている)。イライラしてそれを表に出す、ってことはお互いにあるけど「相手が悪い」と糾弾する、ようなことはなくなった。
子育てや家のことでちょっとイライラしても、やっぱりいろんな立場の人の気持ちはわかる。わかるから、あまり怒れないよね、って感じなんだと思う。

キャリアへの諦め

キャリアを諦めることができたら、周りから評価されないことを屁とも思わなくなれば、子育てはぐっと楽になると思う。
「実力は変わりないのに、残業できて土日も働ける同僚よりも、私が評価されないなんてひどい」って思ってしまうと辛い。
そう思い始めると、矛先は「評価してくれない上司」や「ちゃんとした制度のない会社」に向かってしまうのではないか。
でも私が雇う側だったら、子どもの熱でいつ休んだり早退するかわからない人に、代わりのいない仕事は任せられない。2人組でできる仕事とか、誰かがサポートできる仕事を頼むしかない。

だから「私はできるヤツなんだけど、時間が短いから仕方ないでしょ」くらいにでーんと、根拠のない自信を持ってもいいんじゃないだろうか。

夫の仕事への怒り

共働きなのに、私だけ早く仕事を切り上げている。
どうしても休まなきゃいけないときに、両方とも都合が付かなければ調整するのは私の役目。おばあちゃんに連絡したり、病児保育を検討したり、いざとなったら仕事の方をずらしたり。

だけど、バリバリ働いていたこともある私にはわかる。夫と私、都合を付けやすいのは私なのだ。
そのために仕事をある程度セーブしているのだし、周りも理解がある。
子どものことで仕事に穴を開けるのも、だんだん慣れてくる。でも最初はすごく抵抗があるし、置いて行かれる感じもする。
だけど夫と私、両方の立場もわかっている神様のような存在がいるとするなら、私に対して「君がやったほうがいいよ」って言うと思う。

夫の家事への怒り

家事をあまりしてくれない夫にイライラすることもある。
だけど、どれくらいしてくれればイライラしないのか? と考えてみた。
毎日必ず食器を洗いをしてくれればとても助かって大満足になる気もする。
だけど、早く帰ってきた日に食器洗いだけをさっとやって、それ以外何もしなかったらやっぱり「えっ」って思うだろう。
たぶん、私が自分の時間がほとんどなくて家事育児に費やしていることから、夫も暇な時間のすべてを家事育児に費やしてくれれば満足するんだろうな、と思った・・・。
だけど、それでは私も息が詰まってしまう。スマホを見るだけでも罪悪感が生まれてしまうかも。

私は実母と義母に家事育児をやってもらって、自分は自宅で仕事をしていた時期があった(長男が2歳くらいまで)。
そんなとき、今まで食器洗いをしていなかったのに「今日はやろうかな」みたいなのってすっごいハードル高いんだよね。
まず、照れる。照れってバカみたいだけど家族の場合は非常に高いハードルになり得る。
だったら、手伝えないってアピールするために仕事がいそがしい方がいいかな、みたいな気にもなっちゃう。
以前、「俺っていい夫だろ?」なんて言いながら家事をやるダンナにむかついてしょうがない、っていう街頭インタビューがあった。
けど、これは明らかに照れだ。照れ隠しだ。それはわかってあげてもいいんじゃないか。

夫の育児への怒り

育児ってとても不毛な作業だ・・・って思うことは多々ある。片づけても片づけても散らかして、また片づける。その繰り返し。
一緒に遊んでるのにキレられて殴られる、みたいなこともある。
おかずを作っても米しか食べず「もっと美味しいの作って」なんて言われる。
だけど、圧倒的な愛情をもらえる。これは本当にすごいことだ。短くても10年くらいは、誰かの唯一無二の存在になれる。

一方で、パパはどうなのだ。育児にいくら協力的でも、お腹が空いたり、眠いときにはいくらあやしても泣かれる。「ママじゃなきゃやだ」とか言われる。
これはねえ、たぶんつらいよね。
だから育児をしなくていいってわけでは決してないけれど、パパの「不毛感」は、ママと別のところであるんじゃないかな。

あとはね、女性はまず妊娠すると「つわり」が来る。
それまでのように働けなくなる。もうマジで無理。無理ムリムリ・・・って感じになる。
そこで「ああ、妊娠ってすごいことなんだな、仕事を減らしていかなくちゃ無理だな」って感じさせられる。無理矢理に。
臨月には、体が思うように動かなくなる。テキパキ動けない。下にあるものを取れない。子ども中心になるという変化を受け入れざるを得ない。
出産で入院しかり、産後の体調しかり。
体の変化によって変化を強いられ、思い知らされて、意識するまもなくママになっている。
「子ども中心に動く」が当たり前になっている。

以前、本で読んだんだけど、女性って変化に強いらしいのだ。
男の子と同じように、木登りしたり鉄棒したりしてやんちゃに遊んでいたのに、突然からだがふっくらとしてきて重くなり、ぴょんぴょん身軽に遊べなくなる。そこで突然の変化を受け入れざるを得ない。
10代という若さで劇的な変化を強いられるため、変化するのに慣れるしかないんだと。

一方で、男性はやっぱり自分ごとではない。
女性を思いやる努力は必要だけど、ぼーっとしている男性なら、変化に付いていけないだろう。
パパとしての自覚がゆっくりと芽生えていくのは致し方ないのかもしれない。
のんびりタイプの男性には、ママの辛さややって欲しいことなどをちゃんと冷静に伝えるべきなんだろうと思う。

夫の会社や世間への怒り

夫を朝から晩まで働かせる会社ナンナノ? って思う、人もいる。
海外事情がよくわからないのだけど、ドイツなんかは残業禁止で、本当に会社が閉まってしまうみたいね。
だけど、私も朝から晩まで働いていたクチ。残業代さえ出ていれば、「フザケンナ」とは思わなかった。
遅くまで働く気持ちはわかる。とてもよくわかる。たまに18時に客先帰りとかで電車に乗ると、混んでいることが信じられなかった。18時に終わる仕事って、どういう種類の仕事か想像が付かなかった。
1人暮らしだと18時に帰っても暇で暇でしょうがないとも思う。

会社の都合で朝から晩まで働かされていた、とも思わない(時間が長すぎると精神に異常を来すけど)。責任を持たされるのは、悪い気分じゃない。
また、高度成長期にみんながたくさん働いたのは、会社の都合でイヤイヤ働かされたというより、景気が良くて夢があって、働くことが充実そのものだったんだと思う。

男性が産休を取れない文化は、ちょっとどうにかしたほうがいいと思う。ただ、最初の1人になる勇気はなかなか持てないと思うので、どこかの会社さんのように、社長が率先して取るようなことがあるとどんどん良くなるよね。
仕事でどうしても予定を開けられないことはあるけど、出産というのはおおよそ10ヵ月も前からわかっているわけで、その前後数週間くらい休む調整ができなくてどうすんだ、とは思う。
本気になればできるんだけど、本気になれないうちに産まれちゃった、といったところ。その気持ちもまあ、わかる。
女性は本気になるしかない。自分が生むんだから。本気で仕事を減らして誰かに委譲していくしかない。
だから、事情が違うよね、って思う。
それほど本気にならなくても、「まあみんなが取るから、俺も取ろうかな」くらい、あたりまえになるといいなと思う。最初はもちろん、本気でやる人が必要なのだろうけど。

自分の会社への怒り

ママ自身が務めている雇用主、会社などに理解がないと、辛いと思う。
これはまあ、怒るのもわかるかな。
だけど、それぞれ勤めている会社の事情は異なり、一般化しづらいので、こういう不満が爆発している記事はほとんど目にしない。

どういう時に怒るか

子育てすると思い知らされるけど、イライラって自分都合なんだよね。
子どもができるまでは、子どもの行為が何かのボーダーを超えると親が怒るんだって思っていた。
だって、ドラマとかではそうだから。
熱血先生なんかは、生徒があまりにもひどいことをしたときだけ、間髪入れず殴っていた。そこには迷いがなかった。
だけど、日々の子育ての中で、私が怒るシーンに一貫性があるとすれば、私の状態であって、子どもの行為ではない。
子どもの行為の「悪い度」が5段階あるとして、私のイライラがひどければ1でも怒鳴るし、余裕があれば5でも優しく諭すことができる。
夫や社会に対しても似たようなもんだと思う。

答えが見つからない

今の私は、答えが見つからない。「何かがこうなればもっといいのに!」って外側に対して思うことはあまりない。考えれば出てくるんだろうけど、考えるとどこかの無限ループにはまっていく。
仕事はもっとしたいけど、子どもとの時間は増やしたい。
子どもに早く育ってもらって自分の時間ができて欲しいけど、小さい頃だけのかわいらしさを存分に味わっておきたい。
矛盾だらけの欲望を持ちつつなので、誰かに期待することが少ないのかしら。