2013年7月23日火曜日

「子どもにとって」という記事についてあれこれ思うこと

待機児童問題(?)で駒崎さんの発言があった。

https://twitter.com/Hiroki_Komazaki/status/359505725568987136

ある記事の内容について批判。
その記事はこちら、

【前編】待機児童ゼロに潜むリスク|asobi基地・小笠原 舞 “女性の権利は語るのに「こどもにとって」は議論しない日本社会”
http://yorikanekeiichi.com/ogasawara-mai-says-dangers-to-the-children-on-the-waiting-list-zero-1-3405.html

駒崎さんの言いたいことはわかる。
結構前、駒崎さんは「理想論を語る人」だという勝手なイメージだったのだけど、知れば知るほどちゃんと勉強していて知識が豊富で、とてもバランスの取れた方だと思う。
こういう方が“働く子持ち女性”の諸問題をリードしてくれているのは本当に安心感がある。

該当の記事がちょっと長すぎて(冗長で)、最後の方は飛ばし読み(すみません)。
なんかいろいろ考えることがあって言いたいこともあり、Twitterの短い文章で言えないのでこちらに。
駒崎さんがこちらでも言っているけれど、

https://twitter.com/Hiroki_Komazaki/status/359512457384968193

インタビュアーの意見が極端すぎて、インタビューされている小笠原さんの思想が台無しになっている、ような気もした。
これはちょっと・・・と思うと「インタビュアーの意見だった」って箇所が多数。

まずタイトル“女性の権利は語るのに「こどもにとって」は議論しない日本社会”と言うけれど、そんなことないのでは。
私は「子どもを早いうちから保育園に通わせるのはかわいそう」的なことを言われたし、それがまさに日本社会的「三歳児神話」と呼ばれるものだと思う。
これまでが「三歳児神話」に代表されるように「子どものために」と思って偏りすぎた(そしてそれが本当に子どものためなのかどうか検証・研究された資料もないんだって)、んだと思う。
だから今になって「女性のため」と言い、片側に振れすぎた針を引き戻しているのだと思う。
そのため、そもそもこの記事のスタンスに同意とか同調ができない。私の実感と離れているのだ。

記事には、ヨガや車の購入のために土曜日に子どもを預けることを批判していると思われる記述があった。それも程度の問題。
駒崎さんがTwitterで言うように、子育て中のお母さんはヨガだけが楽しみだったり、唯一のひとりの時間かもしれない。また、車の購入だって、子どものために大きめの車を買うとか、試乗するのに乗せられないから、という理由かもしれない。その背景が分からないから、それだけでダメだとはまったく思わない。

子育て中の女性が働きやすく、自由な時間が取りやすくなったら、それをいいことに勝手気ままにやるお母さんも増えるだろう。例えばなんだろうな、浮気相手と会うために保育園に預けるとか? それはさすがにNG中のNGとは思う。
だけど、その代わり精神的・経済的な余裕を持って子育てできるお母さんも増える。仕事が休みの日に出かけたりする心とお金の余裕ができるではないか。それによって子どもはたくさんのものを吸収し、育っていく。
子どもにとってどちらがいいか? それはひとくくりで言えることではない。

また、記事には“子どもが泣いている”“「ママに会いたい!ママがいい!」と涙を流す”というような記述が散見されるけれども、この場合の「泣いている」ということは、「子どものため」を考える上でそこまで大きな基準になるのかな? と思う。
例えば、保育園に行かないほとんどの子が行くと思われる幼稚園だって、最初は1ヵ月くらい泣くみたい(今の幼稚園のママたちはそう言っていた。うちの子は保育園で慣れていたからか、大丈夫だった)。それを「子どもが泣いているのに幼稚園に預けるの? しかも日中働かないで遊んでるなんて!」って思う人、いるかな?
つまりどちらがどうとかいうより、やはりこの記事の論点や結論、書き方、ベクトルがずれているかなと思う。

働くママにひいき目の私だけど、やはり子どもとの時間は大切だと思う。親が担う部分は本当に大きい。だからこの記事にあるように、
親が発達心理学を勉強したり、愛着形成について知ったりできる機会を同時につくらないといけない
という部分には同意。だーけーどー。その前に「保育園をどんどんつくるならば、」という前提があり、ここが全然分からないんだよなー。
私は保育園に預けて、保育士さんや他のお母さん達から子育てを学んだりする機会がたくさんあり、自分の振る舞いを反省したり改善することが多々あったわけだけど、預けずにずっと一緒にいる親にはそんな機会もないわけで、むしろ一日中一緒にいるお母さんの方が必要なのでは? という感じも・・・。
つまりお母さん&お父さんが学ぶ機会は、いずれにしてもどんな条件下でもあった方が良いと思う。

補足というか余談。
「世の中ではAのことしか議論されていない」「メディアでまったく報道されていない」という書き方をよく目にするが、そんなことを言う人はあまり信用できないのではないか? と最近思っている。あとで覆されるケースを多々見てきたし、私が信頼しているジャーナリスト系の方はそんな(煽るような)言い方をしない。
この記事では「待機児童を減らすことしか議論されていない」と書かれているけれど、駒崎さんが言うには「子ども子育て支援法では量の拡大に4000億、質の改善に3000億を配分するというのは公式資料でも書き、子ども子育て会議でも質の議論を重ねています。」のだそう。
駒崎さんほど勉強しろとは言わないけれど、知らないだけなのに断言するのはどうかな? と。
書き方が「待機児童問題ばかりクローズアップされていますが」程度なら良いのかな、と思うけれど。

2 件のコメント:

  1. こんばんは。考えさせられる記事ですね。でも、率直に言うと、さらーっと一読した感想は、なんだかなー、とちょっと嫌な気持ちになったんです。「子どもにとってを議論しない社会」うーん、子どもは、ママが一番だし、それは保育士の方も理解しつつ、なお、母親の背中をそっと押してくれる存在でなければ、母親は救われない。泣き叫ぶ子の声を聞きながら、涙しながら、それでも仕事に向かう時に、「子どもにとって」を言われると、辛い。保育士さんが、そう思ってると考えると、仕事になんか行けないじゃんよー!と(w。まあ、仕事してる場合にはもちろんそんな感じにはならないんだろうけど、一部の趣味や娯楽の為に預ける人に対して思ったことでも、大多数は仕事してる訳で、誤解されちゃう危険がデカイような。なんだかねー。
    今じゃ、お迎え行くと、もう来たの?的な、保育園大好きな我が子で、子どもにとって考えると仕事は辞められないな、という状況ですが(w

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    1. そうなんですよ!
      この記事を批判していた駒崎さんの元へも「あの記事を読んでから、保育園に預けるのに罪悪感がいっぱいです」という意見が寄せられていて、
      駒崎さんは「あんなの気にしないでください」とバッサリ^^;

      そうですね、保育士はそっと母親の背中を押してくれる存在であって欲しい。

      娘ちゃん、保育園大好きで良いですね!

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